アンチSNSのテーゼを考えてみる

EnemyBookはSNSにとってのカウンターカルチャーでは、多分、ない。たしかに今はもう慣れちゃったけどSNSの表層的な友人関係は最初は気味悪かったしうざかった。だから、そういった表層的なコミュニケーションへの、つまり偽りの友情へのアンチテーゼとして、EnemyBookとかのアンチSNSサイトが産まれてきたのはよく分かるし、理解できる。
ここで採用されているアンチSNSの主題は、友達ではなく敵を作る事だ。これはSNSへのアンチテーゼを立ち上げようとした場合、真っ先に考えつきそうな主題だけど、実は間違っているんじゃ無いかと思う。


つまり、SNSの本質は友達を作るってところにはないのだ。


いや、確かに友達を作る事も重要な機能だが、
本当にSNSがSNSたる所以は、友達を作る事が


ほぼ無限に、しかもあったこともない相手と友達になれるということだ。


これは現実世界では実現できない機能だ。だからこそ、SNSは面白く、こんなにまで普及したといえる。そして同時にこんなにも偽りの友達を増やしてしまったのだ。

アンチSNSを掲げるなら、その主題は「敵を作ること」ではなく、「偽りの友情を駆逐」していくことじゃあないかと思う。SNSの友情が偽りであるならあるほど、EnemyBookの敵もまた偽りである。それではSNSとやっていることはあまり変わらない。実際に敵を作ったところで、本当にその相手と争っていては身が持たないので、話半分、冗談半分の敵なのだ。EnemyBookはSNSの補助ツールにこそなれてもアンチテーゼとは呼べないのではないか。


SNSのアンチテーゼを掲げるなら、その無限のオープン性にこそ制限を設けるのが正当だと思う。つまり、友達の数を制限することだ。mixiで言うなら、マイミクの上限を設けると言うことだ。仮に制限が100だとするなら、100人以上のマイミクは持てない。そしてここからが重要だ。
仮に上限いっぱいに友人が居るところに、つい最近mixiに参加してきた友人からマイミク申請された場合どうなるのか。しかも幼少期からの無二の親友だとしたら。
彼をなんとかマイミクにしたいがいかんせん上限をオーバーしてしまう。この場合どうすれば良いのか?答えは至ってシンプルだ。


自分のマイミクを一人減らせばいい、ということだ。


そうすれば、彼を受け入れる事が出来る。除外されてしまったユーザは気の毒だが、こうして常にマイミクにふるいをかけておけばクオリティを保つことが出来、偽りの友情化は防げるかもしれない。これこそがアンチSNSの骨子だと思う。


もちろん、村八分を助長するようなこんな排他的なシステムは絶対に容認できるわけがないけど、そろそろSNSのオープン至上主義みたいな物にカウンターが発生しても良いかと思う。客観的に見てSNSでのコミュニケーションは質より量を優先している。ポストSNSは量より質を指向するんじゃないだろうか。たぶんそのときはもうSNSとは呼ばれないだろうけど。

最後に一応断っておくと、僕のmixiの友人は一応リアルの友人が96%なので、偽りの友情ではありません。たぶん。

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Comment (1)

パケラ : 2009 .04 .24

カウンターカルチャーについて調べていてたどり着きました。はじめまして。パケラと申します。

僕がmixiに代表されるSNSでまず違和感を感じる要素は、
リアル友人同士のネット上でのやりとりが、
たまらく偽りの友情感をかもし出していることです。

リアルでの付き合いが濃くあるからこそ、
ネット上でのやりとりが希薄に感じてしまうことがあります。そういう場合は、むしろネット上での友人のほうがあリアルでの付き合いがない分、『本当のことを言ってくれる奴』って思えたりもします。

なんにしても嘘っぽさが付きまとうのがSNSだと思います。コミュニティでの趣味性の共有にはある種の生産性があると思いますけど、シリアスな日記を書くのなんて、町内の掲示板に持病のリストを張り出すようなもんだと感じます。近所の人たちが見るから尚更悪いんです。

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