ブログとノートと越えられなかった壁
先日、ブログは大切だ!みたいなエントリーを放ったわけですがその際、仕事や勉強会で初対面の相手と名刺交換をした後、その人のブログをチェックするとスキルセットが把握しやすいという話をしました。
これと似たような事を、学生時代のノートの貸し借りを通じて経験していたように思う。簡単に言ってよくまとまったノートの奴は成績が良くて、まとまっていない奴は成績が悪かった。
もちろん、いくつかの例外があり、数学などはまとまってない上に酷い悪筆にもかかわらず成績上位者がいたりした。反対に社会などはまとまっていない奴はほぼ例外なく成績が良くなかったように思う。
個人的にはノートを丁寧にとることは好きだった。複数のカラーペンで描き分けたり、見出しを付けるなど(これは続かなかった)自分なりに工夫をこらした。一応それなりに見やすく内容はまとまっていた。
しかし、面白味にかけていた。
それに気づいたのは大学に入ってすぐ、友人のノートを見た瞬間だった。彼女のノートは色数が多いわけでも字が格段に綺麗わけでもないが、簡潔にまとまり、かつ要所要所の見出しが効果的にレイアウトされていた。それは、単に読みやすいだけではなく、雑誌のような面白味を放っていた。
自分のノートと比較すると
「エンジニア主導のデザイン」と
「デザイナー主導のデザイン」位の違いがあった。
もちろん彼女が後者だった。
「エンジニア主導のデザイン」が必ずしも悪いというわけではないが、コンスタンスに結果を出せるのはやはりデザイナー主導のものだろう。そして、実際に彼女のグラフィックデザインは専攻でないのにもかかわらずレベルが高かった。
おそらく、彼女はその時点で「情報をいかに正確に伝えるか」だけではなく「情報をいかに効果的に伝えるか」を理解していたのだ。あるいは「情報を伝えるには感情、感覚にとって心地よくあるべき」を実践していたのかもしれない。
とにかく、当時の自分が及ぶレベルではなかった。
その後、webで色々やったりして、サイトのデザインも任されたりもした。同時に、デザインと言えば「グラフィックデザイン」と同じ意味で語られるが、本来はもっと幅広い意味を持つことを強く意識するようになった。視覚的なデザイン以外にもデザインの可能性はあり、効果的なデザインをいくつも見てきた。
いまはもう、PhotoshopとかIllustratorでデザインするのはモックアップとかα版までだけど、自分がデザインすべき部分は Flashでエフェクトをつけたり、画面遷移の流れだったり、あるいはもう少し深い、コンセプチュアルな部分だったりしている。本当はかっちょいいグラフィックができればって今でも思うけど、欲張るのはそろそろやめにしよう。
サンキュー、ymeic。ちょっとは僕も面白味のあるwebが作れるようになったよ。